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川原湯温泉の歴史

川原湯の歴史 頼朝の温泉と湯かけ祭り

建久4年(1193)、源頼朝が浅間狩りの折り、今の川原湯のところを通りかかりました。その時、山の中の中腹から湯煙が出ているのに気づき、温泉を発見したのです。そこで頼朝は、そばにあった大きな石を王石(またの名を衣掛石)と呼ぶようになりました。(しかし、この石は昭和の初め、温泉街の道路を拡張する時に土中に埋めてしまい、今は残念ながら見ることはできません。)それから約400年が過ぎたある日のこと、突然温泉が出なくなってしまいました。村人達は困り果てましたが、そのうちひとりが温泉の匂いをかいだところ、ニワトリの卵をゆでたにおいがします。そこでニワトリを生贄(いけにえ)にしてお祈りしたところ、お湯が再び出てきたのでみんながお祝いをすることになりました。初めは「お湯わいた、お湯わいた」と言って喜んでいましたが、そのうち「お祝いだ、お祝いだ」と言ってみんなでお湯をかけるようになりました。
 これが、厳冬の朝、賑やかに行われる奇祭「湯かけ祭り」の始まりということです。
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川原湯の由来(川原湯温泉発見の別説)

今から800年ほど昔、上湯原の不動院に旅のお坊さんが来て「一晩泊めてください」と頼みました。不動院のお坊さんは気の毒に思って中に入れてあげると旅のお坊さんは薬師如来像を取り出して、お経をとなえ始めたのです。不動院のお坊さんは感激して身の上をたずねると「私の名は川原朝臣権頭光林(かわらのあさごんのかみこうりん)帝(みかど)にお仕えした家に生まれたのですが体が弱く勤めも出来ませんので、こうして諸国の霊場霊地を廻って歩いているのです。」と言いました。そしてその夜のこと、光林が眠っていると、いつも拝んでいる薬師如来様が夢枕に現れて、「ここから東へ八・九丁行ったところの岩陰に熱い湯が湧いている。その湯に入ると病が治り、長生きすることは間違いない。」とのお告げがありました。光林はお告げの場所に行き、その湯に毎日入りました。するとすっかり健康になり村人たちも皆この湯の恩恵を受けることになったそうです。そこで村人たちはこの湯を「川原湯」と呼ぶことにしました。

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王湯の正面には源氏の紋所「笹竜胆(ささりんどう)」が掲げれています

若山牧水の愛した川原湯温泉

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この渓を挟む両岸に樹木の深い事はこの前此処を通った時(大正7年11月)の紀行にも私は書いておいたが今度聞けばすべて官有林であるのだそうだ。私はどうかこの渓間の林がいつまでもいつまでもこの寂びと深みとを湛へて永久に茂っていてくれることを心から祈るものである。ほんとに土地の有志家とは言わず群馬縣の當局者といわず、どうか私と同じ心で、このさう廣大でもない森林のために永久の保護者となってほしいものである。もしこの流れを挟んだ森林が無くなるやうなことでもあれば、諸君が自慢して居るこの渓谷は、水が枯れたより悲惨なものになるに決まっているのだ。

静かなる旅をゆきつつ」中編 「渓ばたの温泉」より抜粋 (大正9年5月の紀行)

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